SALT

日記

チェス

ネットフリックスのクイーンズ・ギャンビットに触発されてチェスを憶え始め、無料のアプリをダウンロードして空き時間にチマチマ駒を動かすようになった。そもそも俺は盤上のゲームは苦手で、モノポリー・ウノ・麻雀・その他トランプのゲームなんかはめっぽう弱い。定石がわからず適当にゲームを進め、場当たりな対処に終始してすぐに負ける。俺の人生と一緒だね。しかしいつからか人狼ごきぶりポーカーみたいな心理と推理の要素がミックスされたボードゲームが流行り始め、そちらでは涼しい顔で嘘をついていると存外勝てたりするので、本当にいい時代になったものだとしみじみ感じている。人生のほうでは嘘をついているだけではままならなくなることばかりなので、早く人生もアップデートされてほしい。

クイーンズ・ギャンビットでは用務員のおじさんがアニャ演じる主人公の先生となっていたが、一方俺の先生であるチェスのアプリはあくまで機械的に対戦をするだけで一切の指導をしてくれない。どの手が悪かったのか、どこを改善すればいいのか、さっぱりわからないまま100戦くらいしたが、EASYモードには一回も勝つことができなかった。ルールは憶えたが、クイーンズ・ギャンビット本編で緊張感のあるシーンでも何が起きているかさっぱりわからない。ギャンビットは戦術のことらしいがどういう戦術なのか理解できていない。チェスでは駒を動かした履歴を記録し、それを読んで試合を再現するらしいが、俺が頭の中で3つほどコマを動かしたら最初に動かした駒が行方不明になってしまう。趣味でチェスをやっている人はこんな七面倒臭いことを軽々こなしているのか?定石をひとつひとつ憶えているのか?ギャンビットができるのか?何手も先を読んでいるのか?即座に何パターンもシュミレーションを行って適切な一手を出しているのか?それとも、あまり考えたくないことだが、俺は相当なマヌケなのか?

そうして打倒EASYモードを掲げてひと月ほどたった頃、スキー旅行に行く機会があり、泊まったペンションにチェス盤があった。俺は缶ビールでほろ酔いの妻を捕まえ、「おい、チェスをするぞ」と迫った。向こうは初めてチェスに触る。当然ルールすらわからない。俺はチェス盤を広げ、「これがポーンで…」などと得意げに説明する。妻はフラフラしながらなんかよくわかんないけど駒がオシャレだねみたいなことを言っていた。俺はアプリ相手にまだ一勝もできていないが、今夜チェスで初めて勝つことになるだろう。さっきルールを憶えた酔っぱらいに、だが。それでもアプリでの100敗がようやく報われると思うとどこか安堵している自分がいた。

妻には普通に負けた。「将棋と一緒じゃんね、小学生の頃しょっちゅう弟の相手をさせられてたんだけどこれがウザくて…」

盤上には俺の駒がほぼなくなっている。圧倒的に負けたのか、それとも最初に決定的なミスをしたのか、それすらわからない。

「今のゲームって一体どこが悪かったの?」

「さあ、わかんない。チェスなんか初めてやったし。でね、弟が卑怯な手ばっかり打つから…」

俺はチェス盤をさっさとしまった。アプリも消した。クイーンズ・ギャンビットもしばらく見ていない。最終回が公開されたらまた見ようと思うので教えて下さい。